国際協力の失敗事例とは?
そこから分かる課題と学びは?
の疑問にこたえます。
この記事の信頼性
この記事では、国際協力の失敗事例3つ、そして課題と学びを解説します。
国際協力の失敗事例
計画までしたものの、中止や頓挫した案件
国際協力の失敗の中では、これが一番多いのではないでしょうか。
日本がODAとして調査・計画したものの、相手国政府に受け渡したら、案件が進まず、実質的に頓挫しまうこともあります。
筆者が経験した、インドネシアでのインフラ再整備案件を例に紹介します。
インドネシア政府は、官民連携(PPP)でのインフラ整備の経験・ノウハウが先行している日本に、技術協力を要請しました。
その要請にこたえ、入札以降はインドネシア政府へ引き渡す前提で、調査や入札書類の作成をODAで行ったものの、引き渡し後は、遅々として進んでいません。
3年たった現在においても、案件は“Under Preparation (準備中)”です。
インドネシアは、南国の気質で明るく、気前が良く、コミュニケーションが大好きな人が多いのですが、案件が中々前進しないことが一つの欠点です。
JICAが案件をハンドリングしていた時には、それが推進力となっていましたが、それが現地政府に引き継がれると、思った通りの進捗や成果が得られないケースが多くあります。
この原因は、このように考えています。
- 実は案件は進んでいるが、“公示”などの目に見える成果になっていない。(希望的観測です)
- インフラの入札では巨額の利権が動きます。インドネシアは汚職指数の高い国であり、利害調整に時間を要している(泥沼にはまっている)ことが考えられます。
- 官民連携(PPP)では、官民さまざまなステークホルダー間の調整が求められますが、行政機関の能力強化が追いついていない。(とはいえ、インドネシア政府として触られたくない問題と思いますので、日本として何をできる…?)
- 担当者の異動や変更により、案件が引き継がれず、止まってしまう。(本当に多いです。)
- 事業の予算を確保できず、案件が進まない。(途上国ではよくあります)
JICAはホームページでもこのように言っています。
JICAの支援によりもたらされた成果が一時的かつ限定的なものにならないよう、その成果を他の地域に普及し、制度化していくためには、政府の能力強化が不可欠です。
一方、行政に期待できる役割は、国によって異なります。
協力事業終了後、協力の成果の自立的発展をカウンターパートであった行政機関に期待していたが、想定どおりにはいかず、成果が持続しなかったことをJICAも多く経験してきました。
よって今後、紛争終結国などの政府の体制が脆弱な国への支援が増大する可能性を踏まえると、地域社会や人々が自ら問題を解決し、生活を改善していける能力を身に着け、目の前のリスクを回避する能力を強化するため、直接コミュニティーや地域の人々にアプローチする取り組みを広く展開することが重要です。
私たちは、このような政府レベルと地域社会・人々レベル双方への支援が相まって、初めて人々に確実に届く援助が可能になると共に、協力の成果を持続的なものにできると考えています。
[出展] JICA:4つの実践方針と4つの重要なアプローチ
政府からの「トップダウン」だけでなく、コミュニティーへの「ボトムアップ」の双方のアプローチが、成果の持続性を高めるというラーニングです。
できることは尽くした上で、気長に、信じて待つ、というのも一つの方法なのかもしれません。
バングラデシュでの飲料ヒ素問題
2000年に問題になった、援助機関がつくった飲用井戸でのヒ素汚染の問題です。
バングラデシュでは、1971年の独立直後から、下痢、赤痢、コレラなどの水を原因とした伝染病対策の一環として、ユニセフを先頭に各援助機関の支援の下に飲用井戸の普及を促進しました。
当時、細菌だらけの川や池の水(地表水)を飲んで下痢を起こし、死亡する子どもがあとを絶たなかったためです。
しかし、同国のなんと64中61県の井戸でヒ素汚染が発生!
WHOのヒ素水質基準ガイドライン値(0.01mg/l)に当てはめた場合、総人口の約5割に当たる6,000万人が影響を受けていることが問題となりました。
ヒ素中毒により、亡くなる赤ちゃんや、皮膚がんや内臓障害となる人も出てきました。
なぜバングラデシュの地下水がヒ素に汚染されたのでしょう?
ヒ素が含まれたヒマラヤの岩石が長い年月をかけて風化し、ヒ素は土中の鉄分や、植物が枯死してできる泥炭に取り込まれて蓄えられ、人間が地下水をくみ上げ始めたことで地上に現れたとされています。
この対策として、ユニセフはバングラデシュ政府と協力して、簡易な仕組みで簡単に使える砂濾過器(サンドフィルター)を開発し、普及に取り組みました。
エルサルバドルで使われていないラウニオン港
内戦で荒廃した地域の復興の象徴として、貨物港のラウニオン港が112億円の円借款で2008年末に建設されました。
しかし、完成からほぼ10年たってもほとんど使われず、毎年10億円の赤字を出し、今なお将来の見通しも立っていません。
日本への円借款の返済もあり、赤字事業の返済の負担をエルサルバドルの国民に追わせてしまった形になってしまっています。
なぜ、このようなことになってしまったのでしょう?
大きく原因は3つあります。
①民間委託できない
港の運営を民間のみに負わせる計画でしたが、民間委託が頓挫しています。
リスクをとれる民間企業はなく、2014年の入札では手を上げる企業はなく、不調に終わりました。
結局、今にいたるまで、空港・港湾自治委員会が「暫定的に」直営を行っています。
②途中での設計変更により、荷積み下ろしの大型クレーンが外された
「船はより大きく、港はより深く」という世界の潮流に後れを取ってはならないという考えから、エルサルバドル政府は、深さ14mで計画されていた、水深をさらに1m深くして、15mにすることを決めました。
この代償は大きかったです。この費用を捻出するために、本格的なコンテナ港に不可欠とされていた「大型クレーン」が事業範囲から外されたのです。
いずれ運営を担う民間企業が用意すればよい…という考えでしたが、その狙いは外れました。
今では、荷下ろしのクレーンを備えている船しか、受け入れることができません。
③航路が泥土で埋まってしまい、小型船しか通行できない
設計上の水深15mですが、土地の性質上、泥土が流れ込んできやすく、いまは工事前と同じ7.1mの深さしかありません。
小型船すら水深8mは必要なので、今は、1日あたり満ち潮になる3時間しか通行できません。
計画段階では、航路埋没については、正確なデータがなく、どれだけ深刻か分かっていませんでした。日本側は追加調査を提案しましたが、エルサルバドル政府により却下されたということです。
失敗からの学び
現地視点を徹底する
その国・地域の社会、文化、政治、慣習、自然慣習などを調べ、
「援助」だからと一方的に押し付けることのなく、
現地のカウンターパートの求めているものを訊き、共にビジョンを描き、足並みをそろえて事業を行う必要があります。
そういった工程を経ることで、将来にも事業継続を担うカウンターパートの育成、自立につながるのではないでしょうか。
専門家の力も借りる
バングラでのヒ素汚染の問題が深刻化した原因は、水質調査をしていなかったこと。
エルサルバドルでの港に泥土が流れ込んで使えなくなっている原因は、自然環境の調査を怠ったこと、が原因でした。
国連や政府レベルの援助でも、このような調査不足が起こるのです。
個人や法人レベルでおこなう援助でしたら、どうでしょう?
善意で井戸を掘ったつもりが、汚染された水で、むしろ健康被害を引き起こしてしまっているかもしれません。
できる限りのリスクを考え尽くし、現地パートナーや専門家の力も適切に借りて対応しましょう。
引き渡し後に、現地の人が自立して成果を上げる仕組みをつくる
これは政府やNGOなどのさまざまなアクターが直面している課題です。
国際協力に携わる方は、「現地で自立してできることの大切さは分かってるよ!でも、難しいのが現実なんだよ」と思われる方もいるかと思います。
緊急支援で入ったはずが、援助を撤退してしまうと、現地の方の生死にかかわるために、常設的に援助を行い続けざるをえないことは往々にして起きています。
カウンターパートを育成し、自立して、成果を上げ続けるようにできることはとても重要です。
そのため、JICAでは、政府の育成によるトップダウンだけでなく、コミュニティーも育成しボトムアップのアプローチも双方向で行っています。
Take Action!
いかがでしたか?
社会課題は、解決が容易ではないからこそ課題であり、それに取り組むにあたり、失敗は起こりえます。
その失敗から学ぶことで、より効果的な国際協力につなげることができるのではないでしょうか。
失敗は、成功の種。
そうするためには、社会課題の解決に向けた挑戦を継続することが大切です。
頑張るあなたを応援しています!次の記事で会いましょう!
出展
(注2) 外務省:バングラデシュの「ヒ素汚染緩和計画」のためのユニセフに対する無償資金協力について
(注3) ユニセフ:バングラデシュ ヒ素汚染のない飲料水を子どもたちに
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